スタートラインを見てるだけ



「ああ、アレ? もう癖なんじゃない。どうでもいいことは本当、気にしないタイプだから」
そう言って困ったように笑ったけど、私は笑えなかった。



「おい、さつき」
「なに、青峰くん」
幼馴染で、部活も一緒で。聞けばどちらも一人っ子で両親ともに仲がいいらしい。
さつきちゃんは普段『青峰くん』て呼んでるけど、咄嗟の時は『大ちゃん』て呼ぶのを私は知っている。
「……なに見てんだよ」
「ううん、別に」
私も一応、部活は一緒だけど。あくまでさつきちゃんのお手伝い程度のマネージャー。
みんなのためにデータを集めることも、チームが勝つために出来ることもなにもない、ただの普通のマネージャー。
「じゃあ、私、ドリンク作ってくるから」
ちゃん、ごめんね? ありがとう!」
スタイルが良くて、美人で、性格までいいさつきちゃん。
その隣に並んで見劣りしない男子なんて……私は、青峰くんくらいしか知らない。

「あーあ、めんどうな人を好きになったもんだ」
ポットにドリンクの粉を入れて、蛇口をひねってダバダバと流れる水を見ながら小さく呟いてみる。
本当、なんで青峰くんなんかを好きになってしまったんだろう?
どこからどう見てもお似合いの二人。さつきちゃんは「私ね、他校に好きな人がいるの」てこっそり教えてくれたけど。
幼馴染への恋心なんて、近くにいすぎて気付かないものだと相場が決まっている。
それに、青峰くんを見ていれば分かる。彼にとってさつきちゃんは『特別』だ。
(高校生にもなって、幼馴染で休みの日に一緒に出掛けたりする? マンガやドラマじゃないんだから、普通はしないって。確かにさつきちゃんのデータは凄いけど。さつきちゃんの情報は凄すぎるけど! でも休みの日にわざわざ……ねぇ?)
まだ半分も入っていないポットの中を覗きながら、いつもと同じことを考える。

もし私が青峰くんの幼馴染だったら。
もし私がデータ収集に長けていたら。
もし私が美人だったら。
もし私が『さつきちゃん』だったら。

「ばっかみたい」
どれだけ考えても、全部ムダなことなのに。何も変わりはしないのに。
「ほんと、バカ」
「オレよかマシだろ?」
「っ!?」
まさか、と思ったけど。聞き間違えるはずのない声が、まさか私のどうしようもない呟きに返事をするなんて。
「あ、おみね、くん?」
「オマエ、いつまでドリンク作ってんだ?」
肩越しに振り向くと、面倒くさそうに首の後ろに手を当てて今にも欠伸をしそうな青峰くんが立っていた。
「ごめ、もうちょっと……」
「オマエが戻って来ねぇと、さつきが他校のデータ取りに行けねぇってセンパイがボヤいてたぜ」
「あ、うん……ごめん」
そうだ。青峰くんが動くのは、自分が楽しいことのため。それと、
(さつきちゃんのため)
分かり切っていることなのに、改めて突きつけられた現実から逃げるように視線をドリンクのボトルに戻したら、もう少しで水が溢れそうになっていた。
「すぐ持ってくから」
「ああ」
蛇口を絞めて、ポットの蓋をして。
たっぷり水の入ったポットを気合を入れて持ち上げたら、ヌッと後ろから伸びてきた黒い腕に更に高く持ち上げられて、思わずバランスを崩してしまった。
「っと、」
「わっ! ご、ごめっ!!」
バランスを崩して凭れかかった先は、すぐ後ろに立っていた青峰くんの胸で。
ポットの持ち手を両手で握っている私を思わず支えてくれたんだろうけど、お腹に回された腕のせいで、その……後ろから抱きしめられているような状態に、私の頭の中は真っ白だ。
「ったく。なんのためにオレがここ来たと思ってんだよ。ほら、手、放せ」
声のまま、パッとポットから手を放すと頭の上から「ぐっ」と小さく声が聞こえた。
「テメェ……」
「ご、ごめ!! 本当、ごめんなさい!!」
恐ろしく低い声に、反射的に腕の中から抜け出して頭を下げた。
『好きな人に抱きしめられている!!』とか、そんな幸せに浸っている場合じゃない。
「……チッ」
私が両手で、気合を入れて持ち上げたポットを片手に下げて、青峰くんは先に廊下を歩き始めていた。
(大きな背中……私なんかすっぽり包んじゃうくらいだもんなぁ)
わざとじゃないけど、さっきまで青峰くんに抱きしめられていたんだと思うと、今更ながら頬が熱くなる。
「おい、!」
「へっ?」
強い声が、廊下に響く。彼の目はまっすぐ、私を見ていて、
「ちんたら歩いてんじゃねーよ。さっさと来い」
「え、今、私の……」
「来ねーなら先行くぞ」
「あ、待って!!」
(ねぇ、私の知る限り、青峰くんが女子のことを名前で呼ぶのって、さつきちゃんだけだよね?)

後ろから見える耳が、赤く染まっているのは   なんで?



(大ちゃんってば本当、素直じゃないんだから)

- end -

13.05.16