彼の視界は広いと知ったのは、彼から直接聞いたから。
「好きなものほど集中して見てしまうから、逆に見失いやすいんだ」
「へぇ」
放課後の教室。隣の席の伊月と部活の話をしていたと思う。なんでそんな話になったのかは思い出せないけれど。
「だから、手を繋いでてほしいんだ」
「ふーん……え?」
聞いてなかったわけじゃないけど、それほど真剣には聞いてなかった私は必死に話を振り返った。一体どこで、手を繋ぐような話になったのだろうかと。でも、どうしても思い出せない。確か部活の話をしていたはず。それで、好きなものほど……
「え?」
「うん、見失わないように手を繋いでて欲しいんだ。に」
「え、あの。え、それって、」
「好きだよ」
伊月の告白から、付き合う事になったその日から。
私は彼と手を繋いでいる。
「ほんっと、アンタ達って仲いいわよね。ケンカとかしないの?」
「するする。日向くんじゃないけど、やっぱりたまにイラッてくるもん。あのダジャレ」
「彼女でもイラッてするんだ」
付き合い始めて半年も過ぎたころ。2年で別クラスになったリコとお昼を食べながらそんな話題になった。
帰る時も、廊下で話す時も、ほんの短い時間でも私は伊月の手を握っているからそんな風に言われるんだと思う。
それこそ、最初のうちは恥ずかしくて仕方なかったけど。でも、手を繋ぐと伊月が嬉しそうに笑うから。繋がないと不安そうな顔をするから。そのうち、手を繋ぐことは息をするくらい当たり前の事になってしまった。
「にしても、仲いいわよ。やっぱり」
「それって、手を繋いでいるから? でももう、手を繋ぐ事にときめかなくなっちゃったなぁ。そうするのが当たり前みたいになっちゃったし」
紙パックのミルクティーを啜りながら窓の外、屋上を見上げると男子バスケ部がお昼を食べているのだろう。木吉くんだと思われる大きな背中が見えた。
「そうなの? ていうか、なんでアンタ達っていっつも手繋いでるの?」
育成ゲームがひと段落ついたと言っていたリコは暇になったのだろう。いつになく私達の事を聞きたがる。別に隠すことでもないし、私も誰かに話したかったのかもしれないと思うと、ぽろぽろと付き合い始めたあの日の事を話していた。
1年生最後の席変え。隣の席になった伊月は、真面目だけど真面目過ぎなくて、ぼーっとしてるかと思えば急に何かをノートに書き留めたり。
そんなちょっとしたことが目につくようになって。
部活のメンバーと教室で話している時の笑顔にときめいて、体育館で練習している真剣な顔にまたときめいて。
どこにいても伊月の姿を探してしまうようになった時には、もう好きになっていた。
そんな相手からの、突然の告白。嬉しくないはずがない。伊月からのお願いだって、二つ返事で受け入れた。
……けど、初めて繋いだ手は緊張して、少し指先が冷たくなっていた。
「の手って、冷たいんだな」
「ご、ごめっ」
「いや、謝らなくていいよ。別に悪いって言ってないだろう?」
「でも」
漫画や恋愛小説で見るみたいに思われたいと思った。
白くて小さくて、柔らかくて暖かい女の子らしい手。とてもそんな風に言ってもらえる様な手じゃないけど、せめて暖かさくらいあってもいいのにと思わずにいられない。
「オレも、緊張してるから。手汗気持ち悪かったらゴメン」
ポツリと伊月からこぼれた言葉にバッと顔を向けると、綺麗な黒髪の後頭部しか見えなかった。それから、ギュッと握られた手。
「私も、緊張してる。けど、手、繋ぐから。ちゃんと、伊月のそばにいるから」
「……ありがとう」
繋いだ手が、ジワリと暖かくなったのを覚えている。
「ウフフ! いーわねー!」
「そう?」
満面の笑みのリコを見て、やっぱりちょっと恥ずかしくなって残り少ないミルクティーを啜る振りをして、また屋上を見上げた。今度は赤い髪が見える。あれは一年生の火神くん、だったかな?
「で〜も〜。それってちょっとおかしいわね」
「なにが?」
ちょっと首を傾げて、リコが私と同じように屋上を見上げながら言う。
「試合中ならともかく、日常生活でそんなに人を見失う事ってないはずよ?」
「……え?」
「伊月くん、なんでそんな事に言ったのかしらね?」
「……」
私を見て笑うリコの顔は、それはそれは楽しそうな顔をしていた。
「お待たせ」
「ううん、そんなに待ってないから大丈夫」
あの時と同じ、放課後の教室。今日は部活が休みだという伊月と一緒に帰るために、私は彼を待っていた。
「もう帰れる?」
「うん」
当たり前のように私に向かって差し出される手に、私は手を重ねながら聞く。
「ねぇ、私、邪魔じゃない? いつも手を繋いでて、邪魔じゃない?」
リコから聞いた言葉が頭の中をグルグルして、初めて手を繋いだあの時みたいに少し指先が冷たくなる。
そんな私の手を、暖かくて大きな手が包んでくれる。ギュッと握りしめてくれる。
「助かってるよ。こうしているおかげで、オレはを見失わずにいられるし、がそばにいるって感じることが出来るからね」
「そ、そっか。邪魔じゃないならいいんだ。うん」
手を繋ぐことなんて、息をするくらい当たり前になっていたのに。
これからしばらくは、手を繋ぐたびに息が止まりそう。
- end -
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13.12.01
アコ様リクエスト「助かってるよ」伊月俊