他の人には何故か理解してもらえないけど、私は知っている。彼は、優しい人。
高校入試の日、ただでさえ緊張しているのに、一緒に受験会場へ来た友達とは試験会場が離れてしまい、より一層緊張して胃がキリキリと痛み出した。
普段から薬をあまり飲まない私は鎮痛剤を持ち歩く習慣などなく、もし薬を持っていたとしても、緊張して前日から食事が殆ど喉を通らなかった胃に薬を入れたら……考えただけで憂鬱になった。
憂鬱、なんてもんじゃない。もう絶望した。
(もうやだ、帰りたい。試験放棄して帰りたい。……うそうそ。試験放棄なんて冗談じゃない! 冗談じゃないから本当、胃痛治まってよ!!)
自分の体にそう言い聞かせても、脳からの指示を無視するように胃はキリキリとその存在を主張してくる。
先輩となるであろう人の机に額をこすりつけて、胃を抱えて背中を丸めて、どうにか痛みを和らげようと試みる。
と、机が小さく揺れて、額に微かな衝撃を感じた。
「?」
「お前は、人事を尽くしたのか?」
「……へ?」
顔を上げて見えたのは、白いブレザー。ずーっと目を上に動かすと、神経質そうな目が私を見下ろしていた。
はっきりいって、デカい。デカくて、綺麗で、怖い。迫力が違う。
「じん、じ」
「そうだ。お前はこの試験のために人事を尽くしたのか?」
「……尽くし、ました」
「その言葉に、嘘はないな」
「はい」
「ならば、いいだろう。貸すのだよ」
そう言うと、彼は私の手を取ってニギニギとマッサージを始めた。
「うぇ?!」
「うるさい。静かにするのだよ」
「え、いや、え、……何、してるんですか?」
「胃痛を和らげるツボを押しているのだよ。薬では逆効果の場合もある。なにより、ここは受験会場。食べ物を口にすることは不可能なのだよ」
「いや、それは、そうなんですけど……」
受験会場、しかも試験開始前に何か食べるのは目立つだろう。でも、今ほど目立ちはしないだろうと、マッサージを受けながら思った。
だって、セーラー服の女子の手を握る、白ブレザーの長身男子。なんて少女漫画? これ。
(あ、……でも、ちょっと痛くなくなってきたかも)
私の冷えた指先が、彼の温かく、大きな手に包まれてマッサージされる事によってジワジワと熱を取り戻していく。熱は指先から体に伝わって、胃の辺りが少し軽くなってきた。
「もう大丈夫です。ありがとうございます」
「そうか。なら、いいのだよ」
クイッ、と眼鏡の位置を整えると、その人は私の斜め後ろの席に座った。…………座った?
「え、受験生っ?!」
「何を言っている。受験生以外がこの教室にいるはずがないのだよ」
至極当然。当たり前のことを言っているのだけれども。
(同じ年に見えるわけないじゃないっ!!)
見上げるほどの長身、にじみ出る風格、整った顔立ち。私のいた中学にこんな同級生なんていなかった。
こんな、同級生に見えないような人が、背中を丸めるしか出来なかった私に、手を差し伸べてくれた。
(試験終わったら、お礼しなきゃ。ジュースとか、受け取ってくれるかな?)
さっきまで試験の事しか考えられなくて、それで胃がキリキリしていたのに、今はもう試験の後の事を考えている。
その後、試験が終わって話しかけようと振り返ると既に彼はいなくて、お礼は出来ないまま入学式を終え、移動した自分の教室で彼と再会する。
「人事を尽くしたようだな」
「あ、あの時はありがとうございました!」
試験会場では見ることがなかった、ふわりと笑った彼の名は『緑間真太郎』と言った。
- end -
12.10.23