私は逃げていた。目をつぶって、耳を塞いで、全力で逃げていた。
……はず、なのに。
「はい、ざーんねん。ゴールはオレの胸の中でした〜」
「っ!?!?」
廊下の角を曲がったら、ドンッと思い切り人にぶつかってしまい、ぶつかった勢いで後ろへ倒れそうになる力以上に引き寄せられて、ガッシリと抱きしめられていた。
逃げた相手の、腕の中に。
高尾とは別にケンカしたわけでも、高尾のことが嫌いなわけでもない。
ただのクラスメイト。そう、『ただのクラスメイト』。それなのに……
「あのさぁ、泣くんならオレの胸貸すって。なんで逃げるかなぁ? オレってば、そんなに頼りない系?」
「……」
抱きしめられて、頭の上に顎を置かれた状態の私は、元々の原因と驚きとが混ざって涙腺崩壊中。
声を漏らさないようにギュッと目を閉じて、口を両手で押さえて、高尾の腕の中で更に小さく身を固めて涙を止めようと試みるけど、なかなか止まりそうにない。
「そんな泣くほど、センパイのことが好きだったんだ」
「っ!!」
ただのクラスメイト。その高尾が、なんで……なんで私の好きな人がセンパイだって知っているの?
ビクリと肩が揺れたのが伝わったのか、頭の上で小さく溜息が聞こえた。
「知ってる。が誰が好きだったのか。んで、その好きだった相手にカノジョがいるのも、知ってる」
「……」
好きだった先輩。好きで、大好きで、でも、声を掛けたりなんか出来なかった。
先輩が私のことなんか知らないのは、分かってた。それでも、姿を見れるだけで嬉しかった。
嬉しかったのに。
放課後、女子と手を繋いで、私が見たことのない顔で笑いながら帰る先輩を見たら、悲しいよりも、胸の中がからっぽになった感じだった。
私はただ、思っていただけ、見ていただけだから。
そんなからっぽになったところで、高尾とすれ違った。その時なんて言ったか覚えていない。クラスメイトだし、「バイバイ」と挨拶くらいはしたかもしれないけれど、無言ですれ違ったってちっともおかしくない関係のはず。
それなのに、高尾は私の腕を掴んで
「どうかしたのか?」
なんて、聞くから。まっすぐに、私の目を見て、そう聞くから。
私は、その腕を振り解いて、逃げた。
「ったく。何も逃げることねーじゃん」
「……」
背中に回された手が、ゆっくりとリズムをつけて落ち着かせるように叩く。その振動に、次第に体の力が抜けていく。
「別に、…すぐ…レとど……う、なんて…うつ……ねーし。とりあえず、今は泣いとけ。んで、忘れちまえ」
「……っ…」
自分の嗚咽で、前半はうまく聞こえなかったけど。
それでも優しい声と手は、私の体と心を確実にほぐしてくれた。
泣き終わったら、ものすごく恥ずかしいけど。
きっと、『ただのクラスメイト』じゃなくなってしまうかもしれないけれど。
でも、今だけは。その優しさに感謝するよ。
(別に、今すぐオレとどうこう、なんて言うつもりねーし。とりあえず、今は泣いとけ。んで、忘れちまえ)
- end -
12.11.03